銀座はなぜ“光の街”になったのか

東京・銀座。夜になると、整然と並ぶビル群がやわらかく光に包まれます。
ネオン、ショーウィンドウ、ブランドロゴ——なぜ銀座は“光の街”と呼ばれるようになったのでしょうか。

本記事では、銀座の歴史的背景から照明文化の発展、そして現代の景観思想までを解説します。

文明開化と“ガス灯の街”

 

 

銀座が光と結びついた原点は明治初期にあります。1872年の大火後、煉瓦街として再建された銀座にはガス灯が設置されました。
夜の街を照らすガス灯は、当時としては最先端の都市設備であり、文明開化の象徴でもありました。
近代都市としてのイメージは、この“灯り”から始まります。

ショーウィンドウ文化とネオン

大正から昭和初期にかけて、銀座には百貨店や専門店が集まりました。
特に三越はショーウィンドウ演出を積極的に取り入れ、光で商品を魅せる手法を確立します。外光ではなく人工照明で演出することで、夜でも買い物が楽しめる街へと進化しました。
光は広告であり、都市体験そのものになっていきます。
戦後、ネオン広告が普及すると銀座の夜景はさらに華やかになります。
屋上広告塔や壁面ネオンが街を彩り、夜の銀座は“光の回廊”と呼ばれるほどの景観を形成しました。
ネオンは単なる宣伝手段ではなく、都市の象徴的景色をつくる存在となります。

ブランド街としての光の進化

平成以降、銀座は高級ブランド街としての性格を強めます。過度なネオンは減少し、代わりに建築と一体化した照明演出が増えました。

ロゴはバックライトでやわらかく浮かび上がり、ビル全体が上質な光で包まれます。派手さよりも洗練を重視する光へと変化しました。

現在の銀座では、景観条例や街づくり協議により、過度な発光や色彩は抑制されています。

光は競争の道具から、街並みを整える要素へと役割を変えました。

統一感のある照明計画が、銀座らしい品格を保っています。

まとめ:銀座の光は“都市の美意識”

時代ごとに光の形は変わってきました。


  • 明治:ガス灯による近代化の象徴
    大正〜昭和:ネオンによる都市演出
    平成〜現代:建築と融合した上質な照明

銀座が“光の街”と呼ばれる理由は、単に明るいからではありません。

常に時代の最先端の光を取り入れ、それを都市の美意識として昇華してきたからです。

光は広告であり、文化であり、街のブランドそのものなのです。

 

 

 

※本記事は、サイン製作・施工に携わる実務視点と、公開文献資料をもとに編集しています。


参考文献

  • 橋爪紳也『にっぽん電飾看板史』青幻舎
    銀座百点会『銀座百点』各号
    東京都中央区資料「銀座地区景観形成ガイドライン」
    三越伊勢丹ホールディングス 企業沿革資料